深名線跡まとめ

深名線の跡をたどります。

国鉄民営化しばらく残った路線ということもあり、各地で遺構がみられます。

 

深川駅

深川駅では深名線の車両用に使われた車庫が残存。

バスの車庫として使われていました。

 

幌成駅跡(訪問日2020/7/18)

 

駅跡の痕跡はありませんが、駅跡から200mほど行った場所には、踏切の痕跡が残っています。

 

幌成駅の末期は車掌車を使った駅舎となっており、2023年現在その駅舎は駅跡付近の農家で倉庫として利用されています。

 

鷹泊駅跡(訪問日2020/7/18)

鷹泊駅跡は駅舎・ホームが残存しています。

 

駅裏には小さな屋根も残されていたようですが、近年撤去されたようです。

 

リフレッシュプラザ鷹泊

廃校を利用した施設、リフレッシュプラザ鷹泊には深名線の資料館があります。

残念ながら公開されているものかも不明で、情報が少ない施設となっています。

 

沼牛駅跡(訪問日2020/7/18)

深名線の駅跡でもっとも保存状態が良いのが沼牛駅。

沼牛駅跡は保存会の方々によって、現役当時のようにきれいになりました。

 

駅裏にはホームも残っています。

 

この日は駅舎の一般公開日だったため、駅舎内部も見ることができました。

廃止当時の張り紙も残っています。

 

幌加内駅跡(訪問日2020/7/18)

幌加内駅跡に当時の面影はありませんが、駅名標と線路がモニュメントとして置かれています。

ちなみにこの線路、現役当時とは異なる方向に敷かれています。

 

深名線資料館(訪問日2021/11/30)

幌加内バスターミナルの2階には、深名線の資料館があります。

 

キハ53が擬人化されたキャラクターが、深名線を紹介してくれます。

 

幌加内駅の時刻表もありました。

 

上幌加内駅跡(訪問日2020/7/18)

仮乗降場から昇格した歴史を持つ上幌加内駅。

小さな規模の駅でしたが、当時のホームと線路が残っています。

 

手が加えられていない駅跡が哀愁を誘います。

 

第三雨竜川橋梁(訪問日2020/7/18)

駅跡ではありませんが、上幌加内-政和駅間にあった第三雨竜川橋梁も保存されています。

 

ここから撮影すると、今にも気動車が走ってきそうな風景です。

 

政和駅跡(訪問日2020/7/18)

政和駅跡には駅舎が残存していますが、全国に数ある駅跡の中で、最も斬新な活用方法がされている駅ではないでしょうか。

農業機械の車庫になっていました。

 

あまりにも変貌しすぎたからか、縦書きの「せいわ」の駅名標が家の表札のように掲げられています。

 

添牛内駅(訪問日2020/7/18)

添牛内駅も駅舎とホームが残存。

駅舎は近くの蕎麦屋さんが管理しています。

 

手が加えられていなかった添牛内駅舎ですが、近年クラウドファンディングで復元工事が行われています。

改修後の駅には行けていないので、機会があれば行ってみたいですね。

 

朱鞠内駅跡(訪問日2020/7/18)

朱鞠内駅跡にはレールと駅名標のモニュメントがおかれています。

 

朱鞠内湖周辺

朱鞠内駅を出ると、深名線は朱鞠内湖を北西から回り込むように走っていました。

当時のルートは、朱鞠内湖の観光案内板から読み取ることができます。

 

天塩弥生駅跡

 

天塩弥生駅は駅舎が再建され、宿泊施設となっています。

一回訪れてみたい施設のひとつです。

 

西名寄駅

 

驚くほどの減築駅舎となっていた西名寄駅。

駅名標だけが残っています。

 

名寄駅

深名線の終点、名寄駅。

昔ながらの駅舎が残存しています。

かつては東西南北4方向に出ていた線路も、今や宗谷本線のみになってしまいました。

大夕張線まとめ

大夕張線の跡をたどります。

 

清水沢駅

大夕張線は、清水沢駅から出ていました。

2024年現在、清水沢駅舎は解体され、大夕張線の跡を偲ぶのが難しくなりつつあります。

 

南大夕張駅跡(2020/920訪問)

大夕張駅はホームが残され、大夕張駅で使用された車両が保存されています。

 

車内に入ることもでき、貴重な昭和の汽車旅を追体験することが可能です。

明石町駅跡(2021/8/21訪問)

 

かつて炭鉱の町として栄えていた大夕張地区。

今はダムのそこに沈んでいますが、渇水期にはかつての街が姿を現します。

 

明石町近くにあった大夕張線の橋。

水没したまま残っています。

 

明石町駅跡は、通路が少し残るのみとなっています。

 

大夕張駅・大夕張炭山駅

今は湖の底に沈んでしまった大夕張・大夕張炭山の両駅。

青函連絡船跡まとめ

かつては多くの人が本州と北海道の間を青函連絡船を使用して往来していました。

かつての連絡船の名残をとどめる場所を訪ねます。

 

目次

 

青森駅(2024/7/14訪問)

駅舎も建て替えられ、青森駅から連絡船のあった昭和の名残は消えつつあります。

しかしながら青森駅のホームには、連絡船乗り場の方向を示す「船」の表記が名残として残っていました。

 

八甲田丸(2024/7/14訪問)

青森駅の北には、八甲田丸が展示されています。

 

八甲田丸に入ってすぐに現れるのは「青函ワールド」。

元々東京の船の科学館に展示されていた羊蹄丸で展示されていたものですが、羊蹄丸の解体に伴いこちらに移動してきました。

 

昭和の駅で使用されてきた備品が展示されています。

 

青函ワールドを抜けると、青函連絡船で使用されていた座席の展示コーナー。

こちらはグリーン指定席だそうです。

 

さらに進むと、乗船名簿も展示されています。

 

青函連絡船で使用されていた表記板も展示されていました。

ブリッジに入ることもできます。

 

八甲田丸は車両甲板に立ち入ることもできます。

こちらには、車掌車や荷物車などが展示されています。

 

荷物・郵便車のスユニ50。なぜか2両展示されています。

 

昭和の北海道の長距離特急列車の代名詞であるキハ82。

屋内展示なだけあって、保存状態が非常にいいです。

 

JNRの文字が光ります。

 

車内は公開されていませんが、青い座席を通路から見ることができます。

 

青函トンネル記念館(訪問日2023/4/22)

道南福島町にある青函トンネル記念館にも、青函連絡船の展示があります。

 

第十一青函丸の模型。

洞爺丸事故で沈没した連絡船の一つです。

 

記念館には、そのほかにもいろいろな歴代連絡船が展示されています。

 

摩周丸(訪問日2022/7/18)

函館側に展示されているのは摩周丸。

こちらも記念館として内部に入れます。

 

内部には桟敷席のようなものが展示されています。

八甲田丸の桟敷席は青函ワールドに転用されているので、往年の桟敷席の雰囲気を味わえる貴重な場所です。

 

摩周丸では、普通席・グリーン席の展示もありました。

 

八甲田丸と同様、摩周丸もブリッジにはいることもできます。

 

青色のモケットが使用されているところに、国鉄の船であったことがうかがい知れます。

 

北海道博物館(訪問日2020/2/11)

北海道全般の自然・暮らしに関して展示する北海道博物館。

こちらにも青函連絡船に関する展示があります。

 

松前丸の模型が展示されていました。

札沼線まとめ

札沼線(学園都市線)の跡を巡ります。

新十津川以南は廃線になって日が浅いということもあり、あちらこちらで痕跡が残っています。

 

 

釜谷臼駅の駅名標

釜谷臼駅の駅名標は、篠路まちづくりテラス・和氣藍々で展示されているそうです。

うどんもおいしいそうなので、ぜひ行ってみたいですね。

 

石狩金沢駅跡(2024/5/2訪問)

北海道医療大学の隣の駅、石狩金沢駅はホームが残存しています。

 

本中小屋駅(2024/5/2訪問)

本中小屋駅もホームが残存しています。

 

中小屋駅跡(2024/5/2訪問)

中小屋駅もホームとホームに向かうが残存。

階段横の柵がひしゃげていますが、雪の影響でしょうか。

 

月ヶ岡駅跡

月ヶ岡駅に関しては地元自治体がホーム・駅舎ともに保存の方針を打ち出しています。

 

豊ヶ岡駅(2024/5/2訪問)

秘境駅として知られた豊ヶ岡駅。

豊ヶ岡駅に関しては、ホームの保存が計画されています。

 

浦臼駅跡(2024/5/2訪問)

浦臼駅は、末期に使用された駅舎とホームが残存。

時刻表や駅名標も保存され、鉄道公園となっています。

 

札沼線で使用されていた踏切も移設されてきました。

 

浦臼町 郷土史料館(2024/5/2訪問)

浦臼町郷土史料館には、国鉄時代に使用された備品が展示されています。

 

構内の図表もありました。

 

新十津川駅(2024/5/2訪問)

駅跡は整備され、鉄道公園になっています。

 

最末期の一日一本しかなかった時代の時刻表も置かれていました。


(2013/8/28撮影)

往年の新十津川駅舎。廃線後しばらく駅舎も残存していましたが、ほどなくして解体されてしまいました。

 

新十津川町開拓記念館(2024/5/2訪問)

新十津川町開拓記念館には、札沼線で使用された備品が展示されています。

 

中徳富駅と上徳富駅で使用された駅名標。

国鉄時代の駅名標が保存されているのはとても貴重です。

 

そのほかにも、駅で使用された備品が展示されています。
札沼線のラストランで使用されるはずだったヘッドマークも展示されていました。

 

徳富川橋梁(2024/5/2訪問)

新十津川を出た札沼線は、徳富川を渡っていました。

札沼線の廃止後、橋梁は水道橋に転用されています。

なお川の中央部分の部分は大雨によって流されてしまったため、鉄道橋梁時代とはべつの物が使用されています。

 

雨竜駅跡(2020/7/18訪問)

駅舎やホームはのこっていないものの、信号機が当時を偲ばせます。

 

北竜町郷土資料館(未訪問)

碧水、和駅の駅名標が展示されているようです。

是非いってみたいですね。

 

碧水駅(2020/7/18訪問)

コンクリート造りの駅舎が残っています。

周辺には建物が建ってしまっているため、知らないとただの倉庫に見えてしまいます。

美幸線まとめ

美幸線の跡をたどります。

短い路線でしたが、痕跡が多く残っています。

 

目次

 

美深駅(訪問日2021/9/22)

 

美深駅前は古い建物が多く残っており、往年のにぎわいの痕跡を残しています。

 

美深駅。

分割民営化直後に駅舎が建て替えられています。

 

駅舎の2階部分は資料館となっており、美幸線の資料を見ることができます。

 

ものすごい数の切符が展示されています。

 

美幸線のジオラマも展示されていますが、長らく動かしていないようです。

 

仁宇布駅跡

 

 

仁宇布駅は駅舎こそ撤去されてしまったものの、美深トロッコ王国の起点として構内が残されています。

いつか行ってみたいですね。

興浜南線まとめ

興浜南線の跡をめぐります。

駅の痕跡はありませんが、路盤は比較的残っているようです。

 

 

雄武駅(2023/6/15訪問)

雄武駅の跡は道の駅兼バスターミナルとなっています。

道の駅のはずれには石碑があり、ここが駅だったことを物語っています。

 

バスの待合室には近年写真が飾られました。

 

オニシ沼橋梁

興浜南線のハイライト、オニシ沼橋梁は橋がそのまま残っています。

興浜北線まとめ

興浜北線の跡をたどります。

 

駅舎も多く残っており、あちらこちらに痕跡が残っています。

 

目次

 

豊牛駅(2023/6/15訪問)

豊牛駅は駅舎が残存しています。

長年手入れされていないようで、駅舎は荒れています。

 

待合室には時刻表が残っていました。

 

斜内駅(2023/6/15訪問)

斜内駅も駅舎が残存しています。

 

北見神威岬(2023/6/15訪問)

興浜北線のハイライト、北見神威岬

線路は灯台の下を通っていました。

当時の路盤は今も残っており、当時の痕跡をたどることができます。

 

オホーツクミュージアムえさし(未訪問)

オホーツクミュージアムえさしには、北見枝幸駅で使用された品々が展示されているそうです。機会があれば行ってみたいですね。

 

北見枝幸駅(2023/6/15訪問)

北見枝幸駅の駅舎は取り壊されて残っていませんが、跡地に建てられた観光協会には興浜北線ゆかりの品々が展示されていました。

チャレンジ20000kmのパネルなんてよく残っていますよね...

 

パネルの隣には模型と当時の写真が置かれていました。