湧網線の跡をめぐります。
中湧別駅跡(訪問日2020/8/30)
ホームとこ線橋が残っています。
当時の雰囲気が感じられる素敵な駅跡です。
五鹿山キャンプ場(訪問日2020/9/5)
貨車移動機のほか、スハ45 31とスハフ42 518が保存されています。
ライダーハウスとして利用できます。
スハフ42のほうは座席も残っており、懐かしい雰囲気たっぷりです。
計呂地駅跡(訪問日2020/9/5)
計呂地駅は交通公園となっており、駅舎とホームが残存。
当時の雰囲気を残しています。
駅舎内は資料館となっており、駅名標や時刻表が展示されていました。
ホームにはC58と客車2両が保存されています。
保存されている客車のうち、オハ62 91には座席が残存。
昭和レトロな車内がいいですね。
駅名標も保存されていました。
佐呂間駅跡(訪問日2020/9/5)
佐呂間駅跡地は交通記念館として当時の資料が残されています。
この建物の出自は謎で、
①当時の駅舎を移設したもの
②完全に新築の建物
とする2つの説があるそうです。
佐呂間町のHPには「移設された駅舎」とキャプションがついた写真があることから、個人的にはこれは移設された駅舎だと思っているのですが、内部があまりにもリニューアルされており確証が持てません。
交通公園歴史|佐呂間町の紹介|佐呂間町
駅舎の裏側を比較した投稿。
これを見る限り、同じ建物のように感じます。
近くの食堂の方が資料館の鍵を持っており、依頼すれば開錠してくれるようですが今回は窓越しに撮影。
駅で使用されていた時刻表や制服が展示されていました。
駅の看板や、仮乗降場の駅名標も展示されていました。
屋外には、車両が4両展示されています。
まずはD51565。北海道に来てからは小樽築港と追分に所属していたため、道東には縁がありません。
続いてスユニ50 517。
北海道向けの郵便荷物車です。1981年改造、1986年廃車と、短命だった車両です。
ちなみに隣には車掌車ヨ8017が展示されています。
公園の端に展示されているのはDE10 1677。
1974年落成にもかかわらず廃車は1987年と、こちらも短命に終わってしまった車両です。
知来駅跡(訪問日2020/9/5)
知来駅は駅舎が残存。
表札にはゲートボール会館と書かれていますが、使用されている様子は感じられませんでした。
軒先の屋根には古いレールが使用されており、この建物が鉄道施設だったことを物語っています。
さろまにあん
佐呂間町にあるとほ宿「さろまにあん」の談話室には、浜佐呂間駅の駅名標と時刻表が飾られています。
食事が非常においしい宿ですので、一度行ってみてください。
サロマ湖ゲストハウス さろまにあん
常呂町郷土資料館(未訪問)
旧常呂町富丘小学校を改装した常呂町郷土資料館には、常呂駅の看板をはじめとした各種資料が残っているそうです。
しかしこの資料館、行政のHPには存在すら書かれておらず、どうやって入るのかは全く不明です...
訪問した人のブログはこちら
minkara.carview.co.jp
常呂森林公園 百年記念展望塔(2022/5/16訪問)
常呂森林公園 百年記念展望塔には貨物移動機があります。
移動機のそばに解説板などはなく、詳細は不明です。
能取駅跡(訪問日2020/9/5)
常呂駅跡から網走駅にかけて廃線跡はサイクリングロードとなっており、当時の車窓を追体験することができます。
能取駅跡にはホームが残存。
ここにはかつて客車も保存されていたようですが、撤去されてしまっています。
卯原内駅跡(訪問日2020/9/5)
卯原内駅には機関車49643と客車オハ47 508、ホームが残存。
機関車のそばには踏切もあり、小さな鉄道公園になっています。
廃線跡の奥には能取湖を見渡すことができる、景色の良い駅跡です。
駅名標も残存していました。
卯原内小学校資料館(未訪問)
卯原内駅に隣接する建物は資料館となっており、湧網線の資料が展示されています。
網走駅(訪問日2020/9/5)
湧網線の終点、網走駅。
駅舎は昭和の時代そのままです。赤い「網走駅」の文字が昔らしくていいですね。
(2023/2/8撮影)
かつての湧網線は、1番線の向かいにあった0番線から出発していました。
0番線に面した場所には現在でも国鉄のフォントで「あばしり」と書かれた駅名標が残っています。