白糠線跡まとめ

白糠線の跡をめぐります。

 

白糠駅(訪問日2021/4/3)

白糠線の起点である白糠駅は、古くからの駅舎が残存しています。

 

白糠線の列車は、一番右の3番線から出発していたそうです。

 

上茶路駅跡(訪問日2021/4/3)

上茶路駅は、ホームが残存しています。

炭鉱があった駅ということもあり、駅の規模はそれなりに大きいです。

 

上茶路駅は廃止後トロッコに乗れる施設を作る構想があったらしく、レールが不自然に曲げられているところがあります。

 

信号機も残存。

このような施設が残ってるのはうれしいですね。

 

駅跡からしばらくは北側に線路が伸びています。

 

北進駅跡(訪問日2021/4/3)

北進駅跡の遺構はありませんが。廃線跡は道路となっており、当時の面影を偲ぶことができます。

天北線跡まとめ②

天北線の跡をめぐります。

前回の記事はこちら

travelman-hokkaido.hatenablog.jp

 

 

浜頓別駅跡

興浜北線との分岐駅であった浜頓別駅。

現在駅の敷地には道の駅があり、当時の遺構はありません。

 

浜頓別町 郷土資料館(未訪問)

浜頓別の郷土資料館には、浜頓別駅で使用された備品が展示されているようです。

ここの資料館も情報が少ないので、ぜひ訪れてみたいですね。

 

山軽駅跡

山軽駅は、ホームと待合室が残存。

ただし周辺には熊が出るという情報もあり、訪問には注意が必要です。

 

安別駅跡(2021/9/21撮影)

 

ホームはありませんが、待合室が残っています。

 

飛行場前駅跡(準備中)

板張りのホームが残っています。

藪が茂らない季節に訪問してみたいですね。

 

茅野駅跡(2021/9/21撮影)

 

茅野駅は、ホームが残存しています。

レプリカとはいえ駅名標が残っているのがうれしいですね。

 

鬼志別駅跡(2021/8/14訪問)

 

鬼志別駅跡はバスターミナルとなっており、駅の遺構はありません。

 

バスターミナルの中は資料館となっており、駅名標や駅の看板、当時の写真が展示されています。

 

待合室にある次列車の案内板。

小石行の区間便もあったのですね。

 

曲淵駅跡(準備中)

曲淵駅の跡には、貨物ホームが残っているそうです。

わずかな痕跡ですが、確かに駅があったことを示しています。

 

沼川駅跡(2021/8/14撮影)

 

こちらも貨物ホームが残っているそうです。

管理人が訪れた時には全然気づきませんでした...

 

沼川駅跡にはモニュメントもあります。

 

駅向かいの家にある倉庫には、天北線で使用されていたと思われる鉄道用品が展示され提案す。

 

樺岡駅跡(2021/8/14撮影)

 

樺岡駅は、駅名標が残存しています。

twitterには2010年代に同じ寸法の放置された駅名標が多数投稿されていますので、当時のものを塗りなおしたのかもしれませんね。

 

恵北駅跡(2021/8/14撮影)

 

恵北駅も、駅名標が残存しています。

 

駅跡近くの電柱には、なぜか「けいほく」と書かれた駅名標も残っています。

 

開基百年記念塔(2021/8/14撮影)

稚内にある開基百年記念塔。

樺太に関する展示が多数を占めますが、天北線に関する資料もあります。

 

サボや機関車のプレートが展示されています。

天北線跡まとめ①

天北線の跡をめぐります。

未訪問の場所も多いですが、暫定的に公開します。

 

 

音威子府駅(2021/9/21訪問)

 

音威子府駅は、駅舎は建て替えられたものの、上屋が残っています。

かつては上屋の先に待合室があったそうですが、撤去されていました。

 

天北線資料室(2023/6/15訪問)

音威子府駅舎の中にある天北線資料室。

天北線に関する資料が展示されています。

 

ショーケースの中には天北線で使用されていた駅名標やサボなどが展示されています。

 

昭和30年代の音威子府駅ジオラマも展示されていました。

元々はかなり巨大な駅だったのですね。

 

音威子府駅跡(2021/9/21訪問)

音威子府の次の駅、上音威子府はホームが残存。

駅名標も近年になって復元されました。

 

小頓別駅跡(2021/9/21訪問)

 

小頓別駅跡はバスの停留所となっており、駅の看板が残ります。

 

駅前には旅館の建物が保存されており、当時の面影を偲ぶことができます。

 

敏音知駅跡(2021/9/21訪問)

 

敏音知の駅跡は道の駅となっており、当時の遺構はありませんが、道の駅の隣には当時のレールを使ったモニュメントがあります。

 

駅近くに残る農業倉庫が当時からの唯一の建物でしょうか。

 

松音知駅跡

松音知は駅舎と線路が現存していますが、撮影禁止という話もあるので紹介だけにとどめておきます。

 

中頓別駅跡(2021/9/21訪問)

 

中頓別駅跡はバスターミナルとなり、キハ22が保存されています。

 

バスターミナルの2階は資料室となっており、往年の鉄道用品を見ることができます。

 

駅の待合室に掲げられていた行先札。

独特の書体です。

 

中頓別町 郷土資料館(2023/6/15訪問)

中頓別の郷土資料館にも天北線に関する資料が展示されています。

駅舎や廃止直前の様子の写真が展示されていました。

 

天北線のパネルのそばには個人から寄贈された中頓別・上頓別・小頓別の駅名標も展示されています。

 

寿公園(2021/9/21撮影)

中頓別駅跡から少し北に行ったところには、9600型機関車が保存されています。

 

弥生駅跡(準備中)

コンクリートでできたホームが残っているそうです。

藪が茂らない春先に訪問してみたいですね。

 

下頓別駅跡(2021/9/21訪問)

 

下頓別駅は、ホームが残存。

駅名標も残っており、当時の雰囲気を今に残しています。

 

後半に続きます。

travelman-hokkaido.hatenablog.jp

瀬棚線跡まとめ

瀬棚線の跡をめぐります。

駅舎は北檜山駅のみしか残存していませんが、沿線には2つの資料館があり、往時を偲ばせます。

 

 

国縫駅(準備中)

国縫駅は昔からの駅舎が残存。

末永く残ってほしいものです。

 

今金駅(訪問日2023/3/31)

 

今金駅跡には当時の遺構はなく、駅跡には風車を模した今金町商工会の建物が建っています。

 

駅跡には敷きなおされたレールがあり、そのそばには今金町内にあった駅名標のレプリカが置かれています。

しかし肝心の今金駅の駅名標はなくなっており、枠だけが残っています...

 

駅跡にある農業倉庫が、当時からある唯一の施設でしょうか。

 

北檜山駅(訪問日2023/3/31)

 

北檜山駅の駅舎は、函館バスのバスターミナルとして再利用されています。

 

待合室はそのまま残され、駅時代の面影が色濃く残ります。

 

駅裏にあったホームはなくなり、バスロータリーとなっています。

 

せたな町情報センター(訪問日2023/3/31)

北檜山駅跡から少し歩いたところには、せたな町情報センターがあります。

図書館と郷土資料館を併せ持ったような施設です。

 

資料館コーナーの中には、祭りで使用された備品や、昔の生活用品が展示されています。

 

奥には北檜山駅で使用された駅名標、丹羽駅の看板などが展示されていました。

 

瀬棚駅跡(訪問日2023/3/31)

 

瀬棚駅跡はデイサービスと公営温泉があり、駅跡の痕跡はほとんどありません。

駅名標とレプリカと、キロポストが置かれていました。

 

せたな町生涯学習センター(訪問日2023/3/31)

高校跡を利用したせたな町生涯学習センターには、瀬棚線に関する資料が展示されています。

 

この施設、瀬棚線に関する展示コーナーがなんと2つもあります。

まずは2階の部屋から。瀬棚駅の看板や運賃表のほか、瀬棚駅の模型もあります。

 

国鉄が行っていた、チャレンジ2万キロの顔出しパネルも展示されています。

このパネルが残っているのは貴重ですね。

 

1階の展示スペースには、瀬棚線の駅名標のほか、当時の機関士さんのインタビュー記事なども展示されています。

 

国縫駅にあったと思われる0キロポストも展示されていました。

 

渚滑線駅跡まとめ

渚滑線の跡をめぐります。

 

 

渚滑駅(訪問日2020/8/29)

渚滑線の起点である渚滑駅。

駅舎やホームは残っていませんが、車庫が残存しています。

 

駅名標は、渚滑小学校に残されています。

フォントが違うように見えますが、駅名標の枠は本物のようです。

 

渚滑小学校(訪問日2020/8/30)

渚滑線は小学校の敷地を横断するという、珍しい線路の通し方をしていました。

小学校周辺の線路はモニュメントとして敷きなおされ、解説板が設置されています。

 

下渚滑駅(準備中)

下渚滑駅跡にはなにも残っていませんが、近くに駅舎が残っているそうです。

 

上渚滑駅(訪問日2020/8/30)

駅跡は交通公園となっています。

レールがありますが、当時敷かれていた方角とは90度異なります。

 

紋別市 上渚滑支所(訪問日2022/7/26)

上渚滑駅跡の近くには、資料館があります。

駅名標やサボ、運賃表が展示されています。

 

制服などの品も展示されています。

ここに入るには、紋別市上渚滑支所でカギを開けてもらう必要があります。

 

JNR フォトトラベルニュースと書かれている黒板を発見。

もともとはどのようなものが張られていたのでしょうか...

 

滝の下駅(準備中)

滝の下駅には、ホームが残っています。

近いうちに訪れたい場所の一つです。

 

濁川駅跡(訪問日2020/8/30)

駅舎が残存しています。

現在でも地域の方々が利用しているようで、駅舎の中にはおみこしがしまわれていました。

 

駅舎の裏手はゲートボール場になっています。

ホームは残存しており、なんとも不思議な光景になっています。

 

滝上町郷土館(訪問日2020/8/30)

濁川と滝ノ上市街の中間には郷土館があり、9600型機関車(39628)が保存されています。
屋内で保存されているため、状態は大変良いです。

 

機関車の隣には、渚滑線で使用されていたサボが展示されていました。

 

北見滝ノ上駅跡(訪問日2020/8/30)

駅舎は少し移設され、資料館として活用されています。

 

内部には時刻表や制服などが展示されています。

 

運賃表に書かれているのは「グリン料金」。時代を感じさせます。

 

北見滝ノ上は今でも林業が盛んで、昔ながらの風景を見ることができます。

名寄本線まとめ②興部~名寄

名寄本線の駅跡を巡ります。

前回の記事(名寄-興部)はこちら

travelman-hokkaido.hatenablog.jp

 

 

富丘駅跡(訪問日2020/8/29)

ホームは残っていませんが、道路とホームをつなぐ通路は残存しています。

 

渚滑駅跡(訪問日2020/8/29)

駅跡はゲートボール場となっており、駅舎やホームはありませんが、当時使われていた車庫が残っています。

 

駅跡には、9600型(69644)が保存されています。

保存機にしては珍しく、ゼブラ塗装が施されています。

 

紋別駅跡(2022/2/3訪問)

駅跡はオホーツク氷紋の駅となっており、駅の遺構はありません。

駅名標のレプリカが置かれています。

 

紋別市立博物館企画展(2022/7/26訪問)

2022年の夏には、紋別市立博物館で名寄本線に関する企画展が開かれていました。

 

企画展では、紋別本線の駅舎の写真や運賃表、駅名標が展示されていました。

 

ひときわ大きい「紋別駅」の文字も展示されています。

ここに紋別駅の文字が展示されているということは、紋別駅跡に展示されていた文字はレプリカだったのですね。

 

紋別駅で使用されていたと思われる運賃表。

 

名寄本線をイメージした鉄道模型レイアウトも展示されていました。

 

沼の上駅跡(訪問日2020/8/30)

ホームが残っています。

駅名標も復元され、駅跡の雰囲気が出ています。

 

中湧別駅跡(訪問日2020/8/30)

 

駅舎はありませんが、ホームとこ線橋が残っています。

 

ホームから写真を撮ると、現役の駅のようです。

 

中湧別の駅名標は青地に白文字が書かれているタイプ。

このタイプは珍しいですね。

 

湧別町文化センターTOM(訪問日2020/8/30)

湧別町文化センターTOMには、中湧別駅のミニ展示コーナーもあります。

発射時刻表や駅名標も展示されています。

 

町立郷土資料館JRY(訪問日2020/9/5)

開盛、上湧別、中湧別の駅名標やサボが展示されています。

撮影禁止ということになっていますので、気になる人はぜひ行ってみてください。

 

遠軽町郷土館(訪問日2020/9/5)

遠軽町郷土館には、遠軽町内の駅で使用されていた鉄道用品が展示されています。

「0番のりば」と書かれていたものは、遠軽駅で使用されていたもの。

 

遠軽駅名標も展示されています。

 

遠軽駅(訪問日2017/8/11)

名寄本線の終点、遠軽駅

昔からの駅舎が使われています。

 

のりば案内も昔からのものが使われています。

一番下の欄には二度と表示されない「紋別・名寄方面」の文字が...

 

名寄本線跡まとめ①名寄~興部

名寄本線の跡をめぐります。

 

 

名寄駅

名寄駅は昔からの駅舎が残っています。

製紙業でにぎわった名寄も、2021年に王子マテリアが撤退してしまいました。

 

名寄から少しの距離ですが、名寄本線の線路が引き込み線として利用されています。

 

キマロキ編成(訪問日2020/7/18)

名寄を出た名寄本線は、左に向かってカーブしていき、東へと向かっていました。

名寄本線のかつての路盤には、通称「キマロキ編成」と呼ばれる雪かき列車が編成を組んだ状態で展示されています。

 

名寄市北国博物館

キマロキ編成の隣には、名寄市北国博物館があります。

こちらの博物館は北国の自然や暮らしの展示が中心ですが、鉄道関連の展示もあります。

こちらは名寄機関区の模型。機関庫や転車台など、精巧に作られています。

 

石炭ホッパーの表現も見事です。

 

珍しい鉄道官舎の内部の様子を解説した模型もありました。

 

中名寄駅跡(訪問日2020/8/29)

中名寄駅は駅舎が残存。

窓口機能が省略された簡易的な駅舎です。

 

駅舎の内部には入ることもできます。

駅舎には、国鉄が荷物輸送を行っていたころのポスターも展示されていました。

 

名寄本線末期の運賃助成に関する張り紙も置かれています。

昔からこのような補助金はあったのですね。

 

下川駅跡(訪問日2020/8/29)

 

下川駅には駅舎やホームは残っていませんが、キハ222両(キハ22 237、キハ22 245)の2両が保存されています。

 

車内はライダーハウスとして利用されているようです。

車内の座席は撤去されていますが、灰皿は残っています。

 

使用停止と書かれた踏切も保存されていました。

 

下川町ふるさと交流館(訪問日2020/8/29)

下川町の市街地から少し山に入った場所には、下川町ふるさと交流館があります。

変わった見た目をしていますが、ちゃんとした郷土資料館です。

 

下川の自然や林業・鉱業などの紹介が多い中、一ノ橋駅の駅舎に掲げられていたであろう板、下川・上名寄の駅名標が展示されていました。

 

札天山収蔵館(準備中)

札天山収蔵館には、一の橋、幸成、岐阜橋、矢文、上名寄の駅名標をはじめとした鉄道用品が展示されています。

不定期会館ですが、行ってみたい場所です。

 

上興部駅跡(訪問日2020/8/29)

 

上興部駅跡は駅舎とホームが残存。

駅舎は鉄道記念館として利用されています。

 

駅舎内部には運賃表のほか、座席や保線モーターカーが展示されています。

「乗って残そう名寄本線」の幕がむなしく映ります。

 

駅裏にはキハ27 109が保存されています。

駅名標もきれいになっています。

 

中興部駅(準備中)

 

個人宅となっており、駅舎が残存しています。

 

興部駅跡(訪問日2020/8/29)

駅跡は道の駅となっており、当時をしのばせる遺構は残っていませんが、道の駅の建物の中には鉄道記念コーナーがあります。

 

展示コーナーには当時の切符のほか、当時の興部駅舎の模型も展示されていました。

 

駅跡にはキハ22 2両(キハ22 202、キハ22 251)が保存されており、ライダーハウスとして利用されています。

 

座席は撤去されているものの、運転台まわりは当時のままです。

 

後編はこちら

travelman-hokkaido.hatenablog.jp