富内線跡まとめ

富内線の跡を巡ります。

 

 

富内線とは

富内線日高本線鵡川駅日高町駅を結ぶ路線で、北海道鉱業鉄道が大正11年(1922年)に沼ノ端から旭岡までが開業させたのがはじまりです。その後国有化と延伸が行われ、昭和39年(1964年)に日高町まで開業しました。

しかし沿線の過疎化により利用客が減少。昭和61年(1986年)に全線が廃止されました。

 

鵡川駅(2021/5/29訪問)

今は日高本線の終点となった鵡川駅

現在は2面2線の駅ですが、もともとは植木のあったところにも線路があり、3番線として使用されていました。

富内線はここにあった埋められた3番線から出発していたようです。

 

昔の様子を撮影したブログはこちら

こくてつ富内線 鵡川駅 : プラットホームの旅

 

春日駅跡(2021/5/29訪問)

春日駅は駅舎とホーム、駅名標が残存しています。

駅舎は2023年現在でもバスの待合室として利用されています。

 

草むらの中にある駅名標は、いかにも廃線跡といったたたずまいです。

 

現役時代の春日駅の写真が掲載されているブログはこちら

春日駅 : プラットホームの旅

 

富内駅跡(2021/5/29訪問)

 

富内駅は、駅の施設が丸ごと保存されています。

廃線跡が数多くある道内でもこのように駅が完全な形で保存されているのは、ここだけと言ってもいいでしょう。

 

高倉健さん主演の映画「鉄道員」の撮影に際し、富内駅の備品が使用されたことから、駅の事務室内には鉄道員のポスターがあります。

 

待合室には運賃表や手荷物預かり所の案内も残っています。

 

ホームには軌道用自転車が置かれています。

 

レプリカの駅名標がおかれています。

 

貨物用の側線にはスハ45とオハフ33が保存されています。

2両とも保存状態は良好です。

 

客車内はライダーハウスとなっており、ほとんどの座席は撤去されています。

しかし車端部の1区画だけ残っている場所があり、往年の汽車旅の雰囲気を残しています。

デッキにつながる壁には釧路鉄道管理局作成の「愛の国から幸福へ」と書かれた入場券の広告が見えます。

 

駅の端へ。駅構内をのぞみます。

銀河鉄道をイメージした空へ続くレールが敷設されていました。

 

現役時代の富内駅の写真が掲載されているブログはこちら

富内駅 : プラットホームの旅

 

振内駅跡(2021/5/29訪問)

振内駅はホームと線路が残存しています。

こちらもライダーハウスとして使用されている客車(スハフ42、スハ45)とサハリンから帰ってきたD51が保存されています。

 

ホームから駅舎に向かう通路には、廃タイヤを利用した「富内線御利用 ありがとうございます」の表記が残っています。

 

駅名標のレプリカも残存。

このアングルから撮ると今でも使用されている駅のようです。

 

客車の座席はほとんど撤去されていますが、奥のほうにはいくつか残っていました。

 

側線に残るD51。サハリン向けに製造されたD51は、ヘッドライトが大きいのが特徴です。

 

現役時代の写真が掲載されたブログはこちら

さきほど紹介した黄色いタイヤも写っています。

振内駅 : プラットホームの旅

 

振内鉄道記念館(準備中)

振内駅舎の跡に建つ振内鉄道記念館は未訪問。

動輪や運賃表などが展示されているようです。

 

ひだか高原荘(2021/5/29撮影)

終点の日高町駅にはなにも残っていませんが、近くにあるひだか高原山荘には9600形機関車が保存されています。

手入れはあまりされていないようですが、屋根があるので比較的きれいな状態を保っています。

 

(2023/1/4訪問)

日高町には資料館があり、富内線の映像を見ることができるのですが、鉄道にまつわる展示品はありません。

日高町駅で使用されていた品々は、機関車が保存されているひだか高原山荘にあります。

 

宿泊棟には富内線コーナーがあり、運賃表やヘッドマークが展示されています。
ひだか高原山荘は日帰り温泉もやっていますが、この展示コーナーには宿泊者しか入れないので注意が必要です。